昼。 テレビで立川志の輔の新作落語のドラマバージョンが
放映されてました。
「喜びの歌」
http://www.htb.co.jp/kanki/ ママさんコーラスのコンサート会場と、市長の市政報告会の会場、
市民ホール?の予約がかぶっちゃって、ママさんコーラスの予約をキャンセルしてもらう為、
大泉洋さん演じる、市民ホール職員が
奮闘していく中で、ママさん達に感化されていくお話。
落語をドラマ。ってとこに興味を持ったので、
しばらく眺めていましたら、
大泉 洋さん演じる市民ホール職員が、
最初のユニークキャラから一転、
ストーリーが進むにつれて、
ママさん達のコーラスにかける思いに感化されていく姿が
何とも素敵でした。
ママから、自分に戻るために、コーラスが必要だったり、
死を乗り越えて、生を感じる為にコーラスが必要だったりと、
ママさんがコーラスにかける思いも凄いものでした。
最後は、もちろんベートーベンの歓喜の歌でフィニッシュするんですが、
詳しく書くとこれから
映画で見たいと考えておられる方にネタばれするのでこの辺で。
映画は見た事ありませんが、
何気なーく見るのが良いのではと思います。
ドラマを見ていて思った事。
歓喜は、痛みが伴うもの。
不安や痛みを和らげるには、夢中になるしかないのかなと。
それに一生懸命になって、もう何があってもゆずれないくらい
本当に一生懸命になって、バカになってしまいたい。
ずっと夢中になれるものなら、何だっていいやと、そう思いました。
ママさんの中には、死の恐怖を乗り越える為、
生を感じる為に
コーラスをやっている方がいました。
でも。
一生懸命になれるものの為に、「どうなったっていいや」という発想は、
これ、破滅的な発想だとは思うのですが、どうしてこんなに美しいのでしょうか。
例えば、妻の長くてきれいな黒髪をとく櫛を買うために大切な懐中時計を売り、
妻は夫の懐中時計に付ける銀のチェーンを買うために、髪を切って売ってしまった
あのエピーソドで言えば、他者の為という概念が存在しているので、
美しいのは何だか納得いきます。
でもママさんの場合、あくまでも自分の為です。
これが、どうして美しく感じるか。
死と向き合うから美しいのか。
自分と向き合うから美しいのか。
んー・・・。その答えはここにありそうな気がします。
不滅の恋 ベートーヴェンクライマックス。父親の暴力から逃れ、少年ベートーベンが、
夜の森の中をひた走り、無心の状態で、森の中の湖畔から水に飛び込み、
水面から夜空を見上げた瞬間、宇宙と少年が一体となって、
「歓喜の歌」が少年の心に怒濤のごとく押し寄せたシーン。
それが歓喜の歌が誕生した、本当のエピソードかどうかは分かりません。
でも、人間は不安や痛みを持つ自分そのままを歌う事で、
喜びを感じる生き物なのではないかと思うのです。
ママさんコーラスのママさん達が、
美しく感じたのは、不安や痛みをそのまま歌っていたからだと感じました。
そしてまた、その歌を聞いている人にもまた、
美しさを感じさせる事ができたのかと思うのです。
歌い方は「歌うこと」以外にも様々あるでしょうが、
ようは一生懸命になれるものであればよいのではないかと。
だからこそ、僕も、
大いに悩み、痛みを知ろうと思うのです。
志の輔さんの落語、
一度、生で聞いてみたいなぁ。